ディグとかダグとか新宿の雑踏を抜けて、君とジャズ喫茶に入った。薄暗い店内、壁際のスピーカーからピアノの音が流れている。君はコーヒー、僕はいつものブレンド。レコードの針が溝を拾うたび、遠い街の風景が浮かんでくるようだった。
「この曲、好きだな」 君が小さく呟いた。僕は頷いたけれど、曲名を知らなかった。知らないままでいいと思った。君と聴いた、という記憶があれば。
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君とピアノと、初夏の記憶
新宿の夜、地下の小さなライブ小屋では、サックスがいつもの夢を吹いていた。グラスの氷が鳴り、煙草の煙の向こうで、君が笑ったような気がした。明日のことなど考えず、僕らは音楽に身を預けていたんだ。ピアノがひとつ和音を落とすたび、見知らぬ街へ旅をする。いつか大人になっても、こんな夜があればいい。そんな夢想を、あの頃の僕は、ずっと繰り返していた。
新宿の街は、いつだって何かが始まる前のような顔をしていた。アートシアターの暗闇に身を沈めると、スクリーンの向こうから、まだ名前のない時代がやって来た。映画なのか、芝居なのか、夢なのか。隣に座った君は、何も言わずに笑っていた。外へ出れば、ネオンの雨。僕らは世界を変えられると、本気で信じていたんだ。あの夜の続きを、今もどこかで探している。
彼女のお気に入り。
キース・ジャレット、コルトレーン、ビル・エバンスもそうだったかも知れない。けれど、彼女がいちばん夢中になっていたのは、マッコイ・タイナーだった。
「この人のピアノって、海みたいでしょう?」
お茶の水のレコード屋で、彼女はそんなことを言った。
僕は棚から一枚のLPを抜き出して、ジャケットを眺めていた。彼女は隣で、もう一枚、別のレコードを手にしている。店の中には、古い紙とレコードの匂いがして、奥の試聴機から、誰かのピアノが小さく聞こえていた。
「海って、どんな海だよ」
「深い海。ずっと向こうまで続いているの」
彼女は笑った。
僕には、マッコイ・タイナーの音楽が、どちらかといえば街の音に聞こえていた。駅のホーム、交差点、夕暮れのビルの窓。ピアノの低い音が、そこにあるものをひとつずつ照らしていく。少し不器用で、でも、何かを始めようとする人の足取りに似ていた。
レコードを買いながら、僕はカウンターに置いてあるチケット割引券を見つけた。
はす向かいのライブ小屋で、今夜ジャズの演奏があるらしい。
「行ってみる?」
僕が聞くと、彼女はすぐに頷いた。
「行こう。マッコイが聴けるかも知れない」
もちろん、そんなに都合よく本人が演奏するわけではなかった。出演するのは、若いピアニストとベース、ドラムスの三人組。けれど彼女は、割引券を大事そうに財布にしまい、僕の手を引いて店を出た。
お茶の水の街は、午後の光に包まれていた。
楽器店の前では、誰かがギターを試し弾きしている。学生たちが坂道を下りていく。ビルの隙間から、青い空が見えた。
僕らは、はす向かいのライブ小屋に入った。
地下へ降りる階段は狭く、壁には昔の演奏会のポスターが貼ってあった。小さなテーブルに水のグラスが二つ。ステージには黒いピアノが置かれ、まだ誰も座っていなかった。
彼女は椅子に腰を下ろすと、ピアノの方をじっと見ていた。
「マッコイの音って、どうしてあんなに遠くへ行けるんだろう」
「遠く?」
「うん。でも、ちゃんと帰ってくるの」
僕はその言葉を、しばらく考えていた。
やがて照明が落ち、ピアニストがステージに現れた。
最初の曲は、ゆっくりしたブルースだった。ベースが低い音をひとつ鳴らし、ドラムスが柔らかくリズムを刻む。ピアノがそこへ入ってくる。
僕は驚いた。
その音は、さっきまで歩いていたお茶の水の街を、まるで別の場所へ連れていくようだった。坂道も、楽器店も、レコード屋のカウンターも、みんな音の中に溶け込んでいく。
彼女は目を閉じていた。
ピアノの音が、少しずつ大きくなる。
低音が大地のように響き、その上を、きらきらとした旋律が走っていく。右手の音が遠くへ飛び立つたび、左手はそこに帰る道をつくっていた。
彼女の言った通りだった。
海みたいな音。
けれど僕には、その海の中に、街の灯りが見えていた。どこかの駅で待っている人。まだ帰らない学生。夜の喫茶店で、ひとりコーヒーを飲んでいる誰か。
曲が終わると、彼女はゆっくり目を開けた。
「ねえ」
「うん」
「今の、よかったね」
僕は頷いた。
何がよかったのか、うまく説明できなかった。でも、さっきまでの僕らと、今の僕らは、少し違っているような気がした。
ライブ小屋を出ると、街はもう夕暮れだった。
彼女は買ったばかりのLPを抱えていた。僕は割引券の半券をポケットに入れたまま、駅の方へ歩き出した。
「また来ようね」
彼女が言った。
「うん。今度はレコードを聴きながら」
「それもいいけど、ライブがいいな」
彼女はそう言って、笑った。
坂道の向こうに、夕方の空が広がっていた。
僕らはしばらく歩いた。
マッコイ・タイナーのピアノは、まだ耳の奥で鳴っていた。
遠くへ行って、ちゃんと帰ってくる音。
その頃の僕らには、そんな音が、いつまでも続くように思えた。
財団に携わっているスタッフ、理事、スポンサーは大切な存在です。そしてなにより大切なのは若い生徒たちです。13年前、今は亡き父とわたしは教育を通して若い世代が彼らの夢を実現できるようにと願いました。この仕事は今後も継続し発展させていく所存です。南カリフォルニアのラーニング。センターから、ワシントンDCでのアール
財団に携わっているスタッフ、理事、スポンサーは大切な存在です。そしてなにより大切なのは若い生徒たちです。13年前、今は亡き父とわたしは教育を通して若い世代が彼らの夢を実現できるようにと願いました。この仕事は今後も継続し発展させていく所存です。南カリフォルニアのラーニング。センターから、ワシントンDCでのアール